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山本七平botまとめ/【今、なぜ「論語」なのか⑤】/世捨人を容認しない孔子/~現実からの逃避は、無規範社会の肯定に同じ~
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山本七平botまとめ/【今、なぜ「論語」なのか⑤】/世捨人を容認しない孔子/~現実からの逃避は、無規範社会の肯定に同じ~
山本七平bot @yamamoto7hei ①【現実からの逃避は、無規範社会の肯定に同じ】「長沮と傑溺の二人が並んで... 山本七平bot @yamamoto7hei ①【現実からの逃避は、無規範社会の肯定に同じ】「長沮と傑溺の二人が並んで耕していた。 孔子が楚から蔡へ帰る時、偶然、そこを通り過ぎたので、子路をやって二人に渡し場のある所をたずねさせた。 子路が車から下りたので、孔子は子路に代わって手綱をとっていた。<『論語の読み方』 山本七平bot @yamamoto7hei ②長沮が子路に問うて言うには 『あの車の上で手綱を執っているのは誰だ』 子路『孔丘(孔子)です』 …長沮『孔丘は四方を廻り歩いているから渡し場のある処ぐらいは知っている筈だ。何も訊く事はあるまい』。 子路は長沮から訊く事ができないから、傑溺に問うた。