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多賀城、志波城、払田柵…、古代ロマンあふれる東日本の城柵 | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]
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多賀城、志波城、払田柵…、古代ロマンあふれる東日本の城柵 | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]
日本の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときに... 日本の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載です。今回は東北の城柵について。陸奥国府だった多賀城や、征夷大将軍・坂上田村麻呂が築いた志波城など、古代ロマンをかきたてる場所がてんこ盛りです。 <奈良時代の水洗トイレが! 最北の「古代城柵」秋田城>で述べたように、「城柵(柵)」とは、東日本に地方支配の拠点として設けられた軍事・行政施設のことだ。7世紀から9世紀にかけて、段階的に北進して設置された。 『日本書記』に初見される城柵は、647(大化3)年に越後に設置された渟足柵(ぬたりのき=新潟市)だ。「渟足柵を造りて柵戸(きのへ)を置く」と記されている。太平洋側(陸奥側)では奈良時代以降に多賀城(宮城県多賀城市)、胆沢城(いさわじょう=岩手県奥州市)、志波城(しわじょう=盛岡市)、日本海側(出羽側)では出羽柵(山形県庄