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【上田啓太】哲学はすでに溺死していた?『現代の全体をとらえる一番大きくて簡単な枠組』を読む - ジモコロ
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【上田啓太】哲学はすでに溺死していた?『現代の全体をとらえる一番大きくて簡単な枠組』を読む - ジモコロ
「京都ひきこもり大演説」は、無職とライターの中間のような存在である31歳の男・上田啓太がコラム的な... 「京都ひきこもり大演説」は、無職とライターの中間のような存在である31歳の男・上田啓太がコラム的なことを書いていく連載です。 そもそも「哲学」とは何なのか。「思想」とはどう違うのか。歴史上、哲学が二度の溺死を経験した経緯を、ニーチェへの批判も含めて展開した、須原一秀の著作を紹介します。 須原一秀「現代の全体をとらえる一番大きくて簡単な枠組」 これは「西洋哲学史」を扱った本である。 しかし、「哲学の入門書」ではない。 なぜ入門書ではないのか? この本は、哲学はすでに「溺死」したと主張しているからだ。 歴史上、「哲学」と呼ばれた運動はすでに終わっており、それは一部の人間にとっては常識なんだが、大半の人はまだ「哲学」が存在していると思いこんでいる。だからその誤解をときたい、というふうにこの本は始まるのだ。 変な本である。 私はこの本を、「哲学って要するに何なんだよ?」「自分と関係あんのか?」と疑