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「パーソン論」よくある誤解(1) パーソン論は功利主義的だ | 江口某の不如意研究室
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「パーソン論」よくある誤解(1) パーソン論は功利主義的だ | 江口某の不如意研究室
なんかいまだに生命倫理学の議論における「パーソン論」については誤解が多いようなので、目立つものを... なんかいまだに生命倫理学の議論における「パーソン論」については誤解が多いようなので、目立つものをいくつかとりあげて解説しておきたいと思います。 「パーソン論」と呼ばれる学説はまあ生命倫理学では一般的で、基本的に各種の「権利」をもった「ひと」である条件はどのようなものかを論じようとするものですね。国内で一番有名なのはマイケル・トゥーリーの論文「妊娠中絶と新生児殺し」で提出されたものです。他にもメアリ・アン・ウォレンの「妊娠中絶の法的・道徳的地位」のヴァージョンも有名ですし、まともな生命倫理学者はほとんど必ずそれぞれの「パーソン論」を提出しています。っていうか「権利」の重要性を認める以上、誰がどんな権利をもっているのかをはっきりさせることはどうしても必要になるので当然そういう議論はしなくちゃならんわけです。 上のどちらの論文も『妊娠中絶の生命倫理』という本で訳出されていますので参照してください