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講道館柔道中心史観のはじまりは敗戦後のGHQ対策にあり。「柔道はスポーツである」(昭和24年)。
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講道館柔道中心史観のはじまりは敗戦後のGHQ対策にあり。「柔道はスポーツである」(昭和24年)。
人間の「生」にとって「スポーツとはなにか」を問う。それは「儀礼」なのか,それとも「贈与」なのか。... 人間の「生」にとって「スポーツとはなにか」を問う。それは「儀礼」なのか,それとも「贈与」なのか。はたまた「宗教」なのか。この問いはどこまでも広く,かつ深い。 柔道といえば講道館柔道,そして嘉納治五郎の名前がまっさきに浮かんできます。 しかし,講道館柔道が脚光を浴びるようになるのは第二次世界大戦の敗戦後のことだ,といえば驚く人は少なくないでしょう。かく申すわたしも,この事実を知って驚いたひとりです。 端的に言っておきましょう。敗戦後のアメリカによる占領政策のもとで,GHQ(連合国軍総司令部)は,ただちに柔道をふくむ日本の武道・武術全般を禁止しました。あわてた講道館は家元として,お家芸の柔道の存亡をかけた智恵をしぼります。そして,お家芸の柔道が生き延びるための苦肉の策として「柔道はスポーツであって武道ではない」と主張して,GHQのお墨付きをもらいます。こうして講道館柔道だけが,つまり「スポーツ