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兄弟・父子の連携で乱世を生き抜いた島津義弘 - 今日は何の日?徒然日記
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兄弟・父子の連携で乱世を生き抜いた島津義弘 - 今日は何の日?徒然日記
元和五年(1619年)7月21日、戦国時代から安土桃山時代にかけて、薩摩の島津氏を率いた武将・島津義弘が... 元和五年(1619年)7月21日、戦国時代から安土桃山時代にかけて、薩摩の島津氏を率いた武将・島津義弘が加治木屋敷にて85歳の生涯を終えました。 ・・・・・・・・・ ご存じ、九州は薩摩に君臨した島津四兄弟の一人の島津義弘(しまづよしひろ)・・・すでに、それぞれの場面で、何度もこのブログに登場しているお人ではありますが、本日はご命日という事で、その生涯をたどってみたいと思います。 ・‥…━━━☆ 悲願だった鹿児島奪回を果たして、薩摩・大隅・日向=三州の統一を目指す薩摩(鹿児島県)の戦国武将・島津貴久(たかひさ)(5月23日参照>>)の次男として生まれた義弘は、はじめは、その父の後を継いだ兄=義久(よしひさ)を助けて各地を転戦する闘将&軍師のような役割で活躍します。 中でも有名なのは、天正六年(1578年)11月の耳川の戦い(11月11日参照>>)・・・豊後(大分県)の大友宗麟(そうりん)の手