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なぜリスクは過小/過大に評価され、専門知が貶められるのか―メアリ・ダグラスのリスク文化論
~急性期医療から介護・福祉、地域コミュニティに至るまで、超高齢化の進む日本社会のあり方を考える~ ... ~急性期医療から介護・福祉、地域コミュニティに至るまで、超高齢化の進む日本社会のあり方を考える~ 2021年12月 « 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 » 2022年02月 前回の記事では、リスクをめぐる制度的専門知の問題点を指摘するなかで、制度的判断に再帰性を担保するためには、ローカル・ノレッジ(民衆知)を組み込み普遍/特殊の二分法を乗り越えることが重要であることを論じた。 ただし、明らかに非科学的なバイアスにさらされ、リスクを過大に評価する「素人の知」を組み込むことがあってはならない。それでは再帰性が働かず、社会が成り立たない。専門家の権威は適切に尊重されなければならない。制度的専門知にバイアスが存在しうることを言っておきながら、素人の知もまたバイアス
2017/11/08 リンク