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晋書巻六 帝紀第六 明帝
明帝司馬紹(299~325、在位322~325)は字を道畿といい、元帝司馬睿と予章君荀氏の子であ... 明帝司馬紹(299~325、在位322~325)は字を道畿といい、元帝司馬睿と予章君荀氏の子である。皇太子であった時から、反乱を起こした王敦軍に決戦を挑もうとする気性であったが、永昌元年(322)に皇帝に即位した後の短い在位期間は、まさしくその対王敦戦に費やされたのであった。太寧二年(324)七月に念願の王敦軍を打ち破ったものの、翌太寧三年(325)閏八月には彼も後を追うように崩じた。享年二十七。武平陵に葬られ、廟号は粛宗とされた。 明皇帝の諱は紹、字は道畿であり、元皇帝の長子である。幼いころから聡明で、元帝から特別に寵愛されていた。〔僅か〕数歳の頃、元帝と膝をつき合わせて坐っていた時、ちょうど長安からの使者がやって来たので、〔元帝は〕明帝に尋ねて言った。「お前は太陽と長安とどちらが遠いと思うか?」〔明帝が〕答えて言う。「長安が近いです。太陽の辺りからやって来たと言う人を聞いたことがありま