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晋書巻六 帝紀第六 元帝
元帝司馬睿(276~322、在位318~322)は字を景文といい、琅邪恭王司馬覲と夏侯太妃の子で... 元帝司馬睿(276~322、在位318~322)は字を景文といい、琅邪恭王司馬覲と夏侯太妃の子で、宣帝司馬懿の曾孫である。八王の乱による中原の混乱を避けて江南に渡り、永嘉の乱で西晋王朝が亡ぶと、北来貴族と江南豪族の支持を得て東晋王朝を成立させ、太興元年(318)には帝位についた。しかし、軍事の実力者王敦に反旗を翻され、失意のうちに永昌元年(322)閏十一月、建康にて崩じた。享年四十七。 元皇帝は諱を睿、字を景文といい、宣帝の曽孫で琅邪恭王の司馬覲の子である。咸寧二年(276)に洛陽で生まれ、尊貴な輝きをはなち、一室全てが照り映え、敷いておいたわらむしろが刈り取ったばかりのように青々として見えた。成長すると、白毫(1)が左の額に現れ、高い鼻とまゆ骨の浮かび出た相、目には明るい輝きを持ち、振り返れば辺りを輝かすほどであった。十五歳の時に、琅邪王の位を継いだ。若くして良い評判があった。恵帝の時代