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芸術家集団による美の「脚立 escabeau」
初期のラカンにおいて、すべての強調は、父の名の隠喩に置かれた。その機能は、主体を母の欲望から解放... 初期のラカンにおいて、すべての強調は、父の名の隠喩に置かれた。その機能は、主体を母の欲望から解放すること等々だった。現代ラカン派に於けるこの理論的モティーフの継続的な流行は、ラカンの決断と鋭く相反する。その決断とは、ラカンはその理論的モティーフを捨て去っただけではなく、反対の考え方に置き換えさえしたのだ。すなわち大他者の大他者は存在しない、と。 父を信じることは、典型的な神経症の症状である。それはボロメオ構造の四番目の輪である。ラカンはそこから離れた。そして三つの輪を一緒にするために機能する新しいシニフィアンを探し求め始めた。この文脈において、重要なのは父とその機能を区別することである。すなわち、母と子の分離にかかわる機能、子どもが母なる大他者の享楽から解放されることを伴う機能である。もしこの分離が、二番目の大他者である父への疎外に終わってしまったなら、それは構造的には、以前の疎外(母との