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蛤坂「毒消しゃいらんかね」物語
蛤坂(はまぐりざか)は、金沢の坂の名としては珍しくウイットに富んだものである。犀川大橋の南詰め野... 蛤坂(はまぐりざか)は、金沢の坂の名としては珍しくウイットに富んだものである。犀川大橋の南詰め野町1丁目から、寺町通りの寺町5丁目に上る。中程から犀川沿いの清川町に下りる貝割坂(かいわりざか)を含めて、その名付け方に昔の人の心の豊かさ、鷹揚さを思わずにいられない。 ご存じ、焼けてのち口を開けたハマグリからその名をいただいた。命名したのは世人。庶民というべきか。だれ言うとなくそれまでの妙慶寺坂が蛤坂になり、町は蛤坂町(旧町名)になった。通称が正式名になった例はいくつもあるだろうが、半ば遊び心からきたであろう名前がそのまま居ついてしまったのはなんとも痛快である。 焼けて口を開くまで33年 妙慶寺は藩政初期に建立され、1615年(元和元)門前の東西両側に10軒の家が建って門前町が成立した(由緒書)。当時、丸山と呼ばれた犀川左岸の小丘にあり、小丘は崖がせり出して川幅を狭めていたことから氾濫による崖
2016/12/15 リンク