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現代建築考 24 出雲大社 庁の舎 | 建築環境デザインコンペティション
菊竹さんを見たいと思った。丹下健三に続く次の世代のホープは、私が直接聞いた限りでも、丹下さんも槇... 菊竹さんを見たいと思った。丹下健三に続く次の世代のホープは、私が直接聞いた限りでも、丹下さんも槇文彦さんも磯崎新さんも二川幸夫さんも川添登さんも認めていたことだが、菊竹清訓だった。 もちろんちゃんとした理由がある。若いうちから、堂々たる傑作を立て続けに実現し、世に問うていたからだ。 <スカイハウス>(1958年、30歳) <海上都市>(1958年、30歳) <出雲大社 庁の舎>(1963年、35歳) <東光園>(1964年、36歳) こうして同世代を圧倒していた菊竹さんが、途中からスピードを落とす理由について、私は、例の「か・かた・かたち」の設計三段階論あたりにあると考えてきた。造形感覚の天分が、科学的方法論にやられてしまったのではないかと。 でも、違うようだ。「か・かた・かたち」の全盛期、菊竹事務所に入って「か」のグループに配属された伊東豊雄に聞くと、「途中までは科学的方法で設計を進めて
2016/02/18 リンク