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そう、どんな理論を持ってきても、どんな治療技法を持ってきても、実際に患者を前にした臨床家はメタレ... そう、どんな理論を持ってきても、どんな治療技法を持ってきても、実際に患者を前にした臨床家はメタレベルに位置している。だから患者を扱えることが出来る。これがロボットと最も異なる点です。たとえば認知療法を受けに行くと、認知療法ロボットが対応します。しかし患者が「やはり認知療法には抵抗があるんですが、考え直していいですか?」と言えば、ロボットは「それではまた受付ロボットのところに戻ってください。さようなら。」となるでしょう。でも人間の治療者なら、「認知療法には抵抗があるんですね。その抵抗についてちょっと聞かせてくれませんか?」となるでしょうし、その時の治療者は認知療法より上のメタレベルに立っている。「いきなり認知療法と言ってもねえ。抵抗あるよね。誰かから認知療法は良いよ、という話を聞いたの?」となるわけですから。 この臨床場面では学派がなくなる、という現象。面白いと思いますが、私はここでそれをや