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縣居通信|賀茂真淵記念館【浜松生まれの国学者、賀茂真淵】
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縣居通信|賀茂真淵記念館【浜松生まれの国学者、賀茂真淵】
江戸時代後半の文化文政の頃(およそ200年前)から、多くのかなづかいの書が出版され、折り本や三ツ切本と... 江戸時代後半の文化文政の頃(およそ200年前)から、多くのかなづかいの書が出版され、折り本や三ツ切本といった小型で歌会などに携帯し参照するといった本も広まりました。そして、文字を調べるにあたっての語句の配列が「いろは」順からあいうえお…の「五十音」順になっていきます。この五十音順の普及には、賀茂真淵をはじめとする国学者たちの日本語研究が大きくかかわっていました。 ◆五十音表の普及と国学者 今日おなじみの「あいうえお」の五十音は、中世以降の音韻の研究にともなって形づくられ、仏教の梵字(ぼんじ)を学ぶ中で、梵字の発音に関係したものでした。それを、江戸時代になって、真言宗の僧であった契沖が、同母音を横に、同子音を縦に並べて「五十音表」を考案し、著書「和字正濫鈔(わじしょうらんしょう)」に掲載しました。この画期的な研究を継承した賀茂真淵は、最晩年に出版した日本語研究の著書「語意考」において『五十聯