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茅原大墓古墳:前方部角に、墳丘と外堤を結ぶ渡り堤--桜井市教委 /奈良 - 毎日jp(毎日新聞)
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茅原大墓古墳:前方部角に、墳丘と外堤を結ぶ渡り堤--桜井市教委 /奈良 - 毎日jp(毎日新聞)
◇幅7~5メートル、設計段階で計画か 古墳時代中期初め(4世紀末)ごろに築造された全長約86メート... ◇幅7~5メートル、設計段階で計画か 古墳時代中期初め(4世紀末)ごろに築造された全長約86メートルの帆立貝式古墳、茅原大墓(ちはらおおはか)古墳(桜井市茅原、国史跡)の前方部角で、墳丘と外堤を結ぶ渡り堤が確認された。15日発表した市教委によると、古墳時代初頭から大古墳を築き続けた桜井市域で最後の大古墳といえ、時代の転換点の状況を考える上で貴重な資料になるという。 史跡整備に向けた形態の確認調査で約100平方メートルを発掘した。渡り堤は前方部北東部で幅7~5メートル、長さ約7メートル分、両側の側面に葺石(ふきいし)を施した状態で見つかった。周濠(しゅうごう)(溝)を掘る際、堤の部分だけ掘り残して土を積んでおり、設計段階から堤が計画されていたのは確実だという。この他、後円部と前方部がつながる「くびれ部」付近で、長さ約1・7メートル、直径約30センチの円筒埴輪(はにわ)を転用した棺が2基、埋蔵