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記者の目:連載「沿岸南行記」で出会った人々=狩野智彦 - 毎日jp(毎日新聞)
「お前はどう生きる」。冷たくなった亡きがらや原形をとどめない建物、粉じんに覆われ暮らしの色を失っ... 「お前はどう生きる」。冷たくなった亡きがらや原形をとどめない建物、粉じんに覆われ暮らしの色を失った風景が、3月11日以来ずっと問いかける。岩手県宮古市で東日本大震災の大津波に遭い、社会面連載「沿岸南行記」(3月26日~5月23日、西部本社版を除く)の取材で約40日かけて計約500キロを歩いた。たとえ誰もが震災を記憶の片隅に押しやってしまう日が来ても、あの日あの場所で出会った人、見聞きしたことを忘れない。その決意を胸に答えを探し続けたい。 震災当日、県議選取材で勤務先の盛岡市から宮古市に行っていた。午後3時21分。市役所4階で「黒い波」を見た。風呂おけから水があふれるように、たやすく防潮堤を越え街をのみ込む。シャッターを切り続けた。海へ戻らぬ水に囲まれ、孤立状態の一夜が明けた翌朝4時。ようやく水が引き、壊れた建物や車の残骸が占拠する街を歩き始め、11人の亡きがらに出会った。 30歳前後に見え
2011/06/14 リンク