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盗作者列伝 隆慶一郎 『後水尾院』より
【『後水尾院』より】 隆慶一郎が用いたのは『後水尾院』であるが、改題した『後水尾天皇』を使うことに... 【『後水尾院』より】 隆慶一郎が用いたのは『後水尾院』であるが、改題した『後水尾天皇』を使うことにする。 ここでも史料を孫引きしていることを明らかにするため、その箇所を含め引用・比較する。 一、本文中の史料の引用は、ごく短い引用を除いて、なるべく手を加えて読みやすくしている。 『後水尾天皇』凡例 引用元を記さずに史料を孫引きするのは、翻刻者としての熊倉功夫を蔑ろにすることである。熊倉功夫が用いた史料の出所を『寛永文化の研究』から引いておこう。 日野資勝の日記は元和七年正月より八月までは国立公文書館蔵「凉源院殿御記」、九月より十二月までは宮内庁書陵部蔵「資勝卿記」を使用、西洞院時慶の日記は善本ではないが国立公文書館蔵「時慶卿記」を、土御門泰重の日記は宮内庁書陵部蔵の自筆本によった。 『寛永文化の研究』129頁 隆慶一郎が用いた史料の出所は言うまでもなく『後水尾院』である。 {前略}このかぶき
2012/12/04 リンク