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聖徳太子の政治的実績 - 殿下執務室2.0 β1
過日のエントリの続きというか補足というか。 書紀は摂政としての聖徳太子に「萬機をこれに委ねる」とす... 過日のエントリの続きというか補足というか。 書紀は摂政としての聖徳太子に「萬機をこれに委ねる」とするが、そこに微妙に後付け的感覚があるのは確かである。というのは、そうした場合、神功紀のように「摂政としての太子」を主語として事績が記録されるはずなのだが、推古紀を読んでいくと、必ずしもそうではなく、例えば仏教興隆の詔のくだりは、 詔皇太子及大臣、令興隆三寶と、推古を主語としている。つまり、書紀の基本スタンスは、あくまでこの時期の統治者を推古と看做しており、この君主を「お飾りの女帝」と考えるのは、文脈的な観点からは必ずしも適切ではない。少なくとも、空位の摂政たる神功のような指導性を書紀編者は太子には見出していなかったのだろう。 ならば、聖徳太子を何故書紀が「摂政」として史書に残したのか、を思うに、自分は比較的「ボトムアップ的」な心性によるものだと考えている。後世でもある程度巷間の信仰厚い英雄や偉
2009/10/14 リンク