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「加害者対犠牲者」の源流(2): Meine Sache ~マイネ・ザッヘ~
なぜイギリスは「犠牲者対加害者」という、当時としては奇矯なモチーフを立てて戦争プロパガンダをした... なぜイギリスは「犠牲者対加害者」という、当時としては奇矯なモチーフを立てて戦争プロパガンダをしたのでしょうか? 第一次大戦開戦当時、ドイツの陸戦能力は世界一と考えられていました。従ってドイツの目標は、戦場で敵を殲滅することであり、プロパガンダはその側面支援として行われました。 しかしイギリスは違いました。当時世界最大の植民地帝国を保持していた大英帝国ですが、陸上戦力ではドイツに及ばず、さらに国力の傾きはすでに19世紀末以来顕著でした。強大なドイツ帝国を英仏露の三国で倒すのは至難の業と考えたイギリスは、中立国を仲間に引き入れて中央同盟軍を圧倒することを目論んだのです。 ドイツとイギリスの戦争プロパガンダの性質の違いは、こうした両国の事情の違いに求められます。ドイツのプロパガンダは自軍の士気を鼓舞して敵の士気を削ぐために行われ、イギリスのプロパガンダは、ドイツの評判を落として仲間を増やすために
2012/06/29 リンク