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2007年のテーマ - ほどよい司書の日記
図書館の公共性について、哲学的に検討したり、経済学的に検討したりすることもできる。しかし、私は、... 図書館の公共性について、哲学的に検討したり、経済学的に検討したりすることもできる。しかし、私は、どうも哲学に結局、言葉の遊びのようなものを感じ、また、経済学にご都合主義的なものを感じているので、歴史的に検討してみたい。 図書館の、いわゆる「民営化」が最近言われるわけだが、図書館は、もともと、「公共」のものとは言えなかった。王権によるもの、貴族によるもの、資産家によるもの、学者によるものであった。それが「公開」されることはあった。「民営」というより「私営」の図書館はこうして始まった。そして、そこには、やはり限界があり、「公共」の「市民」の図書館が誕生するのである。この「市民」という概念についても、いろいろと考えなければならないところがあるが、いずれにしろ、「自治」と深い結びつきで公共図書館は誕生した。従って、普通、「公共図書館」という場合、国立図書館などではなく、自治体の図書館のことになるの