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Myrmecoleon in Paradoxical Library. 旧本館: 外山センセと「耳をすませば」
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柊あおい著 『耳をすませば』 (集英社,2005.07 集英社文庫) 外山滋比古著 『外山滋比古著作集』3 異... 柊あおい著 『耳をすませば』 (集英社,2005.07 集英社文庫) 外山滋比古著 『外山滋比古著作集』3 異本と古典 (みすず書房,2003.03) われわれは,いかにも無造作に“ものを読む”というが,本当に読む意味を考えることは稀である。読むというのは,目に見えないコピーを頭の中につくり上げることにほかならない。そして人間はだれひとりとして,まったく同じ反応をする者はいないから,同じ作品についてまったく同じ理解をすることは考えられない。似ているようでも,こまかいところを見れば必ず違っている。完全に同じコピーはないということである。 外山滋比古「コピー」 - 『外山滋比古著作集』 p.20 先日,「耳をすませば」の原作を読んだ。映画で見たものよりも強い印象を受けたのは面白かったが,さらに面白いのが,この少女漫画と宮崎映画との関係である。 「耳をすませば」は,図書館関係者では,カード式貸出