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京都・洛東 方広寺大仏殿跡 ~功名が辻~ : ねこづらどき
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京都・洛東 方広寺大仏殿跡 ~功名が辻~ : ねこづらどき
豊臣秀吉が建立した方広寺は、松永久秀の焼き討ちに遭って焼失した東大寺大仏殿に代わるべきものとして... 豊臣秀吉が建立した方広寺は、松永久秀の焼き討ちに遭って焼失した東大寺大仏殿に代わるべきものとして企図されたものでした。そこは気宇壮大な秀吉の事ですから、東大寺を凌ぐ規模の大仏殿を築くべく設計されています。まさに日本史上最大と言うべき木造建築物であり、普請狂と言われる秀吉が築いた数々の建造物の中でも、最たるものの一つでしょう。豊臣家の絶頂期に築かれ、その権勢の象徴ともなった方広寺でしたが、しかし、豊臣家を守護する事なく、かえって破滅の淵に追いやる役割を担う事となってしまいます。 秀吉の築いた大仏殿は、現在の方広寺の東隣にありました。2000年に発掘調査が行われ、南北約90m、東西約55mの規模を持っていた事が確認されています。また、高さは50mと推定され、その中に19mの木造廬舎那仏座像を安置していました。東大寺の大仏は15mですから、木造とは言いながら如何に巨大なものであったかが窺い知れま