エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
とは考 『木村伊兵衛と土門拳・写真とその生涯』三島靖
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
とは考 『木村伊兵衛と土門拳・写真とその生涯』三島靖
木村伊兵衛と土門拳、二人の画風、作風は違いますが、戦後を代表する写真家です。 本書は、二人の発言を... 木村伊兵衛と土門拳、二人の画風、作風は違いますが、戦後を代表する写真家です。 本書は、二人の発言をもとに、その思想や哲学を探ろうとするものです。写真家の神髄や崇高な魂を感じる部分が多々ありました。それらを一部ですが、紹介させていただきます。 ・「自分の作品の前に立たされるのは、ぼくが裸にされて、みんなに見られるようなもの」(土門拳) ・「土門拳はぶきみである。土門拳のレンズは人や物を底まであばく。レンズの非情性と、土門拳そのものの激情性とが、実によく同盟して、被写体を襲撃する」(詩人・高村光太郎) ・カメラの軽さで写真を楽しんだ木村伊兵衛、カメラの重さで写真と対決した土門拳 ・「当時(1920年代)、絵画とは異なった『空間と時間性』という写真の持つ独自の世界のあることを理解していたので、この流派(叙情的な風景写真の愛好家)から遠ざかっていた」(木村伊兵衛) ・「読者に強く訴える写真は、まず