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『鎌倉幕府と朝廷』 - pata
シリーズ日本近世史2『鎌倉幕府と朝廷』近藤成一、岩波新書 「はじめに」で、強調されているのは頼朝が... シリーズ日本近世史2『鎌倉幕府と朝廷』近藤成一、岩波新書 「はじめに」で、強調されているのは頼朝が日本全国を統治することを意図していたなら幕府を創設しなくても、朝廷の主導権を握ったり、自ら天皇になるなど様々な方法がありえたはずだ、というあたり。後述されるように幕府側は京都の政治とは極力、距離を置き、朝廷の方から次は誰が天皇となるかなどについての「お墨付き」を貰いにくるという具合であり、しかも鎌倉は京都のような種と機構を引き受けられるほどの規模ではないし、三方を山に囲まれている、と。 頼朝は東日本政権のようなものを目指していた、という話しは定説になりつつあると思いますが、《京都から百里以上を隔てた僻遠の地に、三方を山に囲まれ》た幕府と書かれてみると『ワルシャワ労働歌』の最後を思い出します。 「砦の上に我らが世界 築き固めよ勇ましく」 というあたり。 鎌倉幕府は百姓が独自の倫理観で自前の権力を