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ろんちゃんのテキトー日記 「ゆめはるか吉屋信子」と「女人吉屋信子」
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ろんちゃんのテキトー日記 「ゆめはるか吉屋信子」と「女人吉屋信子」
もうだいぶ前に「ゆめはるか吉屋信子〈上〉―秋灯(あきともし)机の上の幾山河 (朝日文庫)」と「ゆめはる... もうだいぶ前に「ゆめはるか吉屋信子〈上〉―秋灯(あきともし)机の上の幾山河 (朝日文庫)」と「ゆめはるか吉屋信子〈下〉―秋灯(あきともし)机の上の幾山河 (朝日文庫)」(ともに田辺聖子著)を読み終わってたんだけど、もう一回「女人 吉屋信子」(吉武輝子著)を読み返してたので、感想を書くのが遅くなった。 うーん、別にこの2つを読み比べて感想を書こうと思ってるわけじゃないけど、一つの方は上下巻あり、しかも1巻が約700ページずつとかなり分厚いのに対して、もう一つの方は単行本で約300ページ。ま、情報量に格段の差があるのは読まずとも分かる。 が、田辺聖子の方はなんでこんなに長いのかというと、吉屋信子の書いたもの、そのものをたくさん引用しているからだ。なので、この本を読み終えると、田辺聖子の書いたものを読み終えた、というよりなんだか「吉屋信子の書いたものも一緒に読んだ」という気がする。もっとも、引用