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四旬節第5主日:文化は違っても、その文化の中で人は神に向かっている
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四旬節第5主日:文化は違っても、その文化の中で人は神に向かっている
「襟を正せ」「背筋を伸ばせ」とか「恥を知れ」「上司に恥をかかせてはいけない」とか、かつてよく耳に... 「襟を正せ」「背筋を伸ばせ」とか「恥を知れ」「上司に恥をかかせてはいけない」とか、かつてよく耳にした表現が今では廃れてきたのでしょうか。あまり言ったり聞いたりしなくなりました。 日本の「恥の文化」は常に他者を意識した相対的な規範 かつて、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトが発表した「菊と刀」(1946年)という著書で取り上げた日本人の思考様式があります。ご存知のように日本の文化は「恥の文化」とする考え方です。日本人にしますと、日常何気なく行っている行動が、アメリカ人の視点から見ますとまるで違う道徳規範に支えられているように思えたのでしょう。そして、辿りついた結論が、周囲の人々から受ける嘲笑や非難に対する「恥」の心情が、日本人の行動の規範になっているということでした。常に他者を意識した相対的な規範であると言えるでしょう。 西洋の「罪の文化」は神が見ていて隠しようがない絶対的な規範 そ