エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント2件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
あの戦争の最大の勝者は? 『大東亜戦争 敗北の本質』
著者は名著『失敗の本質』の共著者の一人だが、日本軍の最大の失敗は日米戦争を始めたことだ。その後は... 著者は名著『失敗の本質』の共著者の一人だが、日本軍の最大の失敗は日米戦争を始めたことだ。その後はいかにうまく戦っても勝てなかったが、その戦い方も最悪だった。米軍の死者10万人に対して、日本軍は230万人。せめてもう少し合理的な戦いはできなかったのか。 こういう愚かな戦争になった根本原因は、日米戦争が戦争計画なしに始まったことにある。日本軍の南部仏印進駐に対して1941年8月にアメリカが石油を禁輸し、9月に「陸海軍作戦計画」ができた。しかし戦争の全体計画は「腹案」のまま、12月1日の御前会議で開戦が決定され、戦争計画の根拠となる「世界情勢判断」が出されたのは開戦後の翌年3月だった。 クラウゼヴィッツ以来、政府が世界情勢を判断して戦争計画を立て、それに従って軍が戦略を立て、個別の作戦は戦略にもとづいて決めるのが鉄則だが、日本軍は(戦略なしに)作戦を決めてから戦争計画を考え、それを正当化する情勢
2015/07/16 リンク