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『ヤスパースと広隆寺弥勒菩薩像(その2)』
ネコ好き、読書好き、美術館・博物館・お寺巡り好き 手作り製本・ブックカバーにこだわるshinacchiのブログ... ネコ好き、読書好き、美術館・博物館・お寺巡り好き 手作り製本・ブックカバーにこだわるshinacchiのブログです (承前) 篠原氏はドイツ留学中の1945年4月28日、ソ連軍包囲寸前のテムプリン市を命からがら脱出する。 が、英米連合軍に捕えられ、市の監獄を経てハノーヴァ付近の集団抑留所に送られる。 抑留中に発病、ブレーメン近くのドイツの衛成病院に移され療養生活を送る。 このあたりまで、広隆寺の弥勒菩薩どころか、ヤスパースが登場する気配は全くない。 ここで同じ病院の患者、医師の卵のローベルトが、激しい悲鳴を上げて昏睡状態になる。 その後、持ち直すが結局、死亡。 篠原氏は、一人の患者の死により、3年前にヤスパース先生宅を訪問し、死の問題について語り合ったことを思い出す。 ようやくヤスパース先生の登場である。 ×月×日 ―― ヤスパース先生の思出(死と實存と) ローベルト君が死んだ。何の誇張も