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罪をその人のせいにして個人を憎むのは思考が近世で止まってる人だけ。 近..
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罪をその人のせいにして個人を憎むのは思考が近世で止まってる人だけ。 近代以降になって、神というのは... 罪をその人のせいにして個人を憎むのは思考が近世で止まってる人だけ。 近代以降になって、神というのは法に形を変えたと言うことができる。 自由や平等や人権を願う祈りが、民主国家を形作る法という形に結実したのだから。 民主国家では犯罪者は法によって裁かれ、ある程度個人の責任として刑罰が科されるけど、 結局はそれを生んだ環境である共同体、突き詰めると国家に責任が帰着され、国家が面倒をみるよね。 そういう訳だから個人が個人を恨む必要なんて一切ないんだよね、短絡的な感情さえ排せれば。 人を裁くお仕事をするのは法であり国家であって個人ではないわけで。 だから個人が正義感でもって他人を裁く人治主義的発想もおかしいし、遺族の感情を配慮して死刑なんてのも民主国家ではありえない話。 日本はそれになりきれなくて死刑なんていう近世以前の制度を維持し併存させて、 そのくせ法を適切にアップデートする指揮は誰もとらずに個