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「終わりなき日常の終わり」とかいう終わってるコラム
アニメなんてなくても生きていける。 そう論じるのは簡単なことだ。 だが 人間はそもそも不完全なもので... アニメなんてなくても生きていける。 そう論じるのは簡単なことだ。 だが 人間はそもそも不完全なものであり、合理性のみで人生を全うすることは難しい。 それが出来る人間もいようがその数は決して多くない。 アニメに限らず、ゲーム、酒、タバコ、異性、ギャンブル、車、ゴルフ、音楽、アイドル、スポーツ観戦、特撮、映画、小説… 多くの人間は一見非生産なものにひと時その身を浸して癒やしを得、日々の暮らしにおける心の糧にしているものだ。 まずこういったものに批判をすること自体禁酒法時代のアメリカや天保の改革の風俗取締令のようなナンセンスさがある。 すでに多くの批判が寄せられているが、大阪芸術大学の純丘曜彰教授の例のコラムの改稿前のものを長くなるが引用し、思うところを述べていきたい。 ──────────── 終わりなき日常の終わり:京アニ放火事件の土壌 純丘曜彰 教授博士 大阪芸術大学 哲学教授 /夢の作り