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「美味しさ」だって暴力的だ
「美味しさ」は絶対善では無い。つまり、「美味しさ」も光量や音量と同じで、料理は美味しければ美味し... 「美味しさ」は絶対善では無い。つまり、「美味しさ」も光量や音量と同じで、料理は美味しければ美味しい程良いというものではないのだ。 ということを他人に何回話しても、なかなか理解してもらえない。 多くの場合、「美味しくないより、美味しい方がいいでしょ」と返されてしまうのだが、その美味しさが自分が想定する以上に存在するのはラッキーでも何でもなく、単に邪魔だと言いたいのだ。 例えば、天才数学者がアイデアを思い浮かべながら定食屋に入ったとする。提供された料理が彼の思う美味しさをはるかに越えていて、その味に意識を奪われアイデアを忘れてしまった場合を考えてほしい。 調理者はそのはるかなる美味しさに自信を持って、評価を笑顔で期待するだろうが、客である数学者に怒りの眼差しを向けられるのは当然だろう。 言いたいのはそういうことであり、必要以上の「美味しさ」を与えられることは私の意識を奪うという点で、暴力さえに
2020/11/29 リンク