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二次創作界の「隠れる」は破綻してるように見える
特にナマモノ(現実にいる人を扱った二次創作)BL界隈等からよく聞こえてくる 「公式の目に入らないように... 特にナマモノ(現実にいる人を扱った二次創作)BL界隈等からよく聞こえてくる 「公式の目に入らないように隠れるのが大事(=隠れてればOK)」 って文化が、理屈が、処理プロセスが、正当化方法が、以前から疑問。 よく聞く「どうやってもどうせ届いちゃうだろ」的な批判もあるけどそれは今回は置いといて この「隠れる」の先にあるものというか、上手く表現しづらいけど、その「隠れた先にある空間」って、どんくらいの規模感なのよってのをいつも思ってしまう。 20年30年前の学生がこっそり友達数人と妄想マンガ書いたノート回し合ってたのとは違うことが起きてるわけじゃない?今の時代って。 公式タグを使わず〜とか、いや関係者はブロックして〜とか、いや鍵までかけて〜とか、まあ色々段階はあるけど、そこへのアクセス数はどれくらいあるのよ?って思っちゃう。上の話みたいな、友達とちょっといけないことやってる的な規模じゃすまないよ