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「宗教」という問題について語ろう
「私に宗教は必要ありません」 宗教勧誘を受けたときによく口にしてしまうこの言葉。 多くの日本人にと... 「私に宗教は必要ありません」 宗教勧誘を受けたときによく口にしてしまうこの言葉。 多くの日本人にとって宗教は「必要のないもの」という感覚が共有されているように思う。 しかし、本当にそうだろうか。 あるいは、「宗教は必要のないもの」という認識が宗教問題について冷笑的な態度を生み出し、本当にその問題について考えることを無意識的に避けてしまうのではないだろうか。 「宗教(Religion)」という言葉は実は近代語だ。 もともと、この語源となるラテン語における「Religio」は、「(精神的な)深い絆や繋がり」を指す言葉であり、もしくは今日においても「Religious」が指すように「信仰深い態度」そのものを指す言葉として使われていた。今日における「○○教」といったような言葉は、単に「○○の弟子たち」あるいは「○○の後を追う者」といったような言われ方がされてきたし、日本においても「茶道」「武道」な