エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
東京・ソウル・台北・長春──官展にみる近代美術、成田亨 美術/特撮/怪獣──ウルトラマン創造の原点、嬉野観光秘宝館閉館:キュレーターズノート|美術館・アート情報 artscape
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
東京・ソウル・台北・長春──官展にみる近代美術、成田亨 美術/特撮/怪獣──ウルトラマン創造の原点、嬉野観光秘宝館閉館:キュレーターズノート|美術館・アート情報 artscape
日本近代美術史にはいくつかの「闇」があると思う。そしてそれはいずれも「戦争」が絡んでいる。そのひ... 日本近代美術史にはいくつかの「闇」があると思う。そしてそれはいずれも「戦争」が絡んでいる。そのひとつが戦争記録画。そしてもうひとつが、今回企画展となった「官展」の問題だろう。 現代の日本において「官展」はすでに死語であるが、1907(明治40)年開設の文部省美術展(文展、のち帝展)は、たんに数ある一展覧会であるにとどまらず、まさに日本の美術シーンの中心であり、権威であった。だから「官展」という語には、そうした時代とその制度のあり方まで含まれる。 その官展は、日本の統治範囲が台湾、朝鮮半島、満州と拡大するとともに、その地においても開催されていたことはあまり知られていなかった。西洋より日本に移入された「美術」はまずもって「制度」であったが、同様に台湾や朝鮮半島、そして満州においても、この「制度」が準用されたのである。いわば文化的な支配・統治の手段という側面もあったが、同時にかの地において「近代
2014/05/16 リンク