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あとがき32 「価値自由」をめぐって:安藤英治『マックス・ウェーバー研究』(未来社、1965) - あとがき愛読党ブログ
かつて私は、「あとがき」の必要性を論じて以下のように書いた。 しかし、私はあえてあとがきの必要性を... かつて私は、「あとがき」の必要性を論じて以下のように書いた。 しかし、私はあえてあとがきの必要性を説きたい。 あとがきはなぜ必要なのか?それは、「経験」(「私事」)と「学問」との関係にわたる問題なのだ。 マックス・ウェーバーの議論を引くまでもなく、いかに「客観的」な学問上の考証も、「主観的」な関心や観点なくしては出発できない。関心や観点は畢竟、生い立ち、家庭の状況、住んだ土地、時代との出会いなど、学者の個人的な経験に根差す。 そのような書き手の経験を盛り込めるのは、あとがきが最も適している。 atogaki.hatenablog.com ここで言うまでもなかろうと思って引用しなかったのはもちろん、マックス・ウェーバーの「客観性論文」こと、『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』であり、そこに記されたWertfreiheit、そしてそれを「没価値性」ではなく「価値自由」、すなわち科学
2023/07/31 リンク