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日米繊維交渉1970 - 弁理士の日々
日経新聞の私の履歴書は、現在宮沢喜一氏の巻です。 1970年当時、日本の安い繊維製品が米国の繊維産業を... 日経新聞の私の履歴書は、現在宮沢喜一氏の巻です。 1970年当時、日本の安い繊維製品が米国の繊維産業を圧迫しているとして、日本に繊維輸出の自主規制を求める要求が極めて強く、日米間の問題となっていました。日本の通産省の役人も、日本の繊維業界に味方して自主規制には反対の姿勢でした。 4月16日の記事では、宮沢氏が1970年に通産大臣となり、日米繊維交渉に携わる場面が記されています。この話はいろんな面で有名のようです。 ときの佐藤首相が米国のニクソン大統領と会談し、それを受けて宮沢通産相が訪米して米国と交渉します。私の履歴書によると、米国側から「総理のところに紙があるからその紙を見てきて欲しい」と言われ(紙とはペーパーと読み替えればいいでしょう)、佐藤首相に確認すると「そんなもんはない」と言われます。米国でも宮沢通産相は「そんな紙はない」と突っぱね、結局協議不調に終わります。佐藤総理は繊維交渉成