エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
“竹のカーテン”(5) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА>
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
“竹のカーテン”(5) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА>
「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地... 「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。 →(4)からの続き それにしても、中共の“中の人”の頭の中では、東トルキスタン独立派や西側列強のスパイといったものは、ことごとく西から“陸路”でやってくるものだと相場が決まっているらしい。 どこのバックパッカー(もしくは担ぎ屋)だよw。 “背後には米国やアル・カーイダがついている”とか大袈裟なことが言われている割には、妙に貧乏くさいのですw。 思うに、彼らの地理的な認識は、恐らく20年位前の段階で止まっているのではないでしょうか? 当時は“中ソ冷戦”が終結したばかりであり、中央アジア方面と新疆の間で開いていた越境地点と言ったら、これまで何度も名前の出た“コルガス”ともう一箇所くらい。パキスタン方面だとフンジュラーブ峠一箇所くらいだったと言われます。 故に、西からの“悪しき文物”