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ネオ・ソウルという概念の限界について - それでも僕はテレビを見る
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ネオ・ソウルという概念の限界について - それでも僕はテレビを見る
クリスが帰っちゃった。さびしいなあ。 研究の傍ら、最近ソウル音楽について勉強しなおしている。 しか... クリスが帰っちゃった。さびしいなあ。 研究の傍ら、最近ソウル音楽について勉強しなおしている。 しかし、この世界は深すぎる。 書くことすら憚られる(はばかられる)。 自分が学部生の時分から聴いてきたのが、「ネオ・ソウル」と言われるジャンルだ。 ニュー・クラシック・ソウルと呼ばれたり、オーガニック・ソウルと呼ばれてたりしてきたが、最近ではネオ・ソウルという名称がほぼ定着している様子である。 ネオ・ソウルを語るのは難しい。定義するだけでとんでもない長さになる。 管見の限りで言えば、ネオ・ソウルとは ①アコースティックなサウンド中心で ②ジャズ、ファンク、60―70年代のR&Bなどからの明らかな影響が曲に反映されていて、 ③ソウルと呼ぶべき音楽的形式を取っている90年代以降の音楽の総称である。 ネオ・ソウル全般について語ることは不可能なのであって、ここで言いたいことはたったひとつだ。 ネオ・ソウル