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ファンク寄りのネオ・ソウルの少なさよ - それでも僕はテレビを見る
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ファンク寄りのネオ・ソウルの少なさよ - それでも僕はテレビを見る
ソウル音楽の勉強を再開して気付いたことは、自分がいま何を聴きたがっているのかということだ。 誰でも... ソウル音楽の勉強を再開して気付いたことは、自分がいま何を聴きたがっているのかということだ。 誰でもそうだと思うが、音楽を聴くときには自分なりに理想形の音楽があって、曲を聴くということはそれとの差異を確かめる作業でもある。 自分がいま一番聴きたいのはファンクだ。 しかしファンクと言っても、日本の何組かのアーティストが実践しているようなJBマナーごりごりの狭い意味でのファンクではなく、他の音楽的要素を十分に消化して取り入れた新しいファンクが聴きたい。 ネオ・ソウルはファンクの影響が強い。 それはディアンジェロがかつて前期のKool and the Gangやmetersを聴きなおしたと発言したり、エリック・べネイがスライの曲をカバーしたりしたことにあらわれている。 ネオ・ソウル関係の楽曲を聴きまくったが、ファンク寄りの楽曲は相当少なかった。 ネオ・ソウルはブラック・ミュージックの総合格闘技とい