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『ラブバトル』 ジャック・ドワイヨン - 荻野洋一 映画等覚書ブログ
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『ラブバトル』 ジャック・ドワイヨン - 荻野洋一 映画等覚書ブログ
近年のフィリップ・ガレル作品の痛々しい弛緩は、評価しないというより、これはこれでひとつの壮大な実... 近年のフィリップ・ガレル作品の痛々しい弛緩は、評価しないというより、これはこれでひとつの壮大な実験だと思う。たとえばデヴィッド・ボウイーにしても1980年リリースのアルバム『スケアリー・モンスターズ』を最後に第一線から後退して早35年もの歳月が経過したが、それは当人も先刻承知で、いわば彼の老いと人生の下り行く道行きそのものが生涯をかけた実験なのである。ガレルも同様ではないか。 そしてジャック・ドワイヨンの新作『ラブバトル』だが、これは正視に耐えない弛緩を見せている。1980~90年代の彼の作品の緊張感とは比べるべくもない。愛がどうしても諍いの形を取ってしまうというのが往時のドワイヨン映画だったとすれば、今作におけるバトルはあまりにも目的的すぎる。そしてそれはガレル、ボウイー同様、作家自身が自覚している自家撞着であろう。 しかし結果として出てくるもののユニークさは無視すべきではない。作家自身