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阿部嘉昭『頬杖のつきかた』(1) - 詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)
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阿部嘉昭『頬杖のつきかた』(1)(思潮社、2009年09月25日発行) 阿部嘉昭『頬杖のつきかた』は4冊分... 阿部嘉昭『頬杖のつきかた』(1)(思潮社、2009年09月25日発行) 阿部嘉昭『頬杖のつきかた』は4冊分の詩集が1冊になっている。1回では書き切れない。少しずつ感想を書いて行きたい。 「水辺舞台のぴんく映画が」という作品の書き出し。 記憶のわたなべくんの家で 水辺舞台のぴんく映画が 芋虫のようにぷるぷるしている まだ若かった葉月蛍の肌が とりもち以上に吸いついて いつも鳥の肋骨が 飛翔ていどでも割れてゆくんだ 太陽毛への十五度の視覚 ばさりばさり墜ちている へもぐろ瓶が 血の匂いあふらさんと あぶさんの亡霊もぶらぶら 女のなるべく長い後頭部を探すが 滅多なのか探ししくじる ここには私には聞き慣れない「音楽」がある。 「とりもち」から「鳥」、「へもぐろ瓶」(ヘモグロビン?)から「血」、「あふらさん」から「あぶさん」、そして「あぶさん」から「ぶらぶら」。 純粋に「音」だけが交錯し、互いの音を