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『最終講義 分裂病私見』 中井久夫(著) 2 - joy - a day of my life -
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「『最終講義 分裂病私見』 中井久夫(著) 1」からの続き 精神障害における“自己” ここで、統合失調症... 「『最終講義 分裂病私見』 中井久夫(著) 1」からの続き 精神障害における“自己” ここで、統合失調症と強迫神経症との違いを筆者は指摘します。 統合失調症と強迫神経症が類似しているのは、強迫性には「不安に対して意識性を高めて対抗しようとする」側面がある点です(徹底的な確認など)。 しかし強迫性ではこの「意識性の高まり」は決して限界を突破せず、つまり高まりすぎて意識がもはや機能しなくなるという事態には至らず、高まりの上限でストップして、痙攣的に“確認”を反復させます(45頁)。 それに対し、統合失調症とは、強迫性と同様に認識の“統合”を追求するのですが、その追及が度を越し、ついに認識システムが“失調”する状態です。「意識の高まり」が限界を突破してしまうわけです。 この限界を突破してしまったときに、たとえば睡眠障害などが起き、睡眠や夢のように自己が「ゆとり」をもって思考の働きを眺めるというこ