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「漢文スタイル」書評 漢文の大水脈、日本文学の底に|好書好日
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「漢文スタイル」書評 漢文の大水脈、日本文学の底に|好書好日
漢文スタイル [著]斎藤希史 「晴耕雨読の毎日だった学生は窈窕(ようちょう)たる下宿の娘にふられ、... 漢文スタイル [著]斎藤希史 「晴耕雨読の毎日だった学生は窈窕(ようちょう)たる下宿の娘にふられ、故郷に帰って緑陰読書の生活をした」。ん? 何かおかしい。 無粋を承知で現代語訳してみよう。「寸暇を惜しんで勉学する毎日だった学生は、陶然とするほど美しい下宿の娘にふられ、故郷で読書三昧(ざんまい)に世事を忘れた」となる。あれ? まるで明治の小説にあるようなこのストーリーは、本書を読んでいて私の頭に浮かんだ作りごとであるが、ここに出てくる「晴耕雨読」「窈窕たる」「緑陰読書」は、現代日本で一般的に知られている意味とちょっと違うのだ。ここでは「晴耕雨読」は「老後は別荘でも買って悠々自適」といった意味ではない。違いの理由は、こうした熟語の多くが漢文に背景を持つからなのだ。 日本の文献が「漢文文化圏」(「漢字」ではないのに注意!)という、漢文と訓読文の二重性を持つ文化の中に位置づけられることを明らかにし