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「私たちには記憶すべきことがある」書評 国に虐げられた人たちを主役に|好書好日
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「私たちには記憶すべきことがある」書評 国に虐げられた人たちを主役に|好書好日
「私たちには記憶すべきことがある」 [著]朴來群 死の際まで追い詰める拷問や司法を無視した死刑の乱... 「私たちには記憶すべきことがある」 [著]朴來群 死の際まで追い詰める拷問や司法を無視した死刑の乱発――1972年、韓国大統領・朴正熙は権力を強化しようと非常戒厳令を発布、緊急措置権を手に入れた。政府に反発する人びとの尊厳は為政者の靴底で踏みにじられた。 朴の暗殺後、79年にクーデターを成し遂げた全斗煥は朴よりもさらに苛烈(かれつ)だった。耐えかねた光州市民が民主化を掲げ、政府軍に敢然と立ち向かったのは、翌年5月18日である。 この光州事件では多数の民衆が拷問され、高校生すら殺された。世界史的にも重要な虐殺事件である。 事件から8年後、ある学生が大学の屋上でこの虐殺の責任者処罰を要求し、頭からシンナーをかぶって「光州は生きている!」と叫び焼身自殺を遂げた。 本書の著者はその兄である。弟の遺志を受け継ぎ、国家の暴力の犠牲者やその遺族を支援し、繰り返しの投獄や後遺症にもめげずにいつも弱い方に立