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日本語と遍在的天皇制――『日本語に生まれること、フランス語を生きること』をめぐって(2)|じんぶん堂
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日本語と遍在的天皇制――『日本語に生まれること、フランス語を生きること』をめぐって(2)|じんぶん堂
記事:春秋社 1946年(昭和21年)10月29日、帝国議会において修正を加えた帝国憲法改正案を可決した枢密... 記事:春秋社 1946年(昭和21年)10月29日、帝国議会において修正を加えた帝国憲法改正案を可決した枢密院会議の写真。 書籍情報はこちら 日本国憲法が危殆に瀕している。自民党は「日本国憲法改正草案」なるものを2012年に発表した。この草案が描く日本は「人権宣言」に発する近代国家の構想とはまったく相容れない「天皇を戴く国家」である。自民党とその亜流が目指す「憲法」に内在する至高の価値は、自然法に由来する基本的人権(自然権)ではなく、皇祖神に発する天皇制だからである。したがって、自民党とその亜流が戦前の国体を理想化する「日本会議」や「神道政治連盟」に賛同する議員を驚くほど多く抱えていることには何の不思議もない。驚くべきはむしろ、十五年戦争の筆舌に尽くしがたい惨禍と引き換えに手にしたはずの日本国憲法を有しながらも、それを敵視し、改憲を結党以来の党是とする政党が、敗戦後ほとんど切れ目なくこの国