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『源実朝 (ちくま文庫)』(吉本隆明)の感想(8レビュー) - ブクログ
平安末期から鎌倉時代にかけては『袋草紙』『古来風体抄』『毎月抄』など歌学書・歌論書がたくさん現れ... 平安末期から鎌倉時代にかけては『袋草紙』『古来風体抄』『毎月抄』など歌学書・歌論書がたくさん現れた時期で、これはとりもなおさず、当代のかれら自身にとってももう和歌というのが一体何なのかがよくわからなくなりつつあったからだ。内裏は焼け、律令政治は形骸化し、貴族たちは平安時代をすでに失われた理想的規範としてしか見ることができなくなっていた。貴族達にとってそうした規範的過去を生きる手段のひとつが和歌に打ちこむことで、歌作と和歌文化を維持することは自分たちの生きる規範的世界を維持するのに必要なことだった。 当時すでに在京の貴族たちにとっても『古今集』の和歌は研究しなければなじめない、親しみがたい「外部」の存在になりつつあった。それより古い『万葉集』はもってのほかだ。だとすれば、貴族文化とはまったく異質の、血なまぐさい東国武門の惣領制度のなかに育った実朝にとってとなると、その距離は測りがたいほどの隔
2013/06/08 リンク