エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
高山宏の読んで生き、書いて死ぬ : 『フランス<心霊科学>考-宗教と科学のフロンティア』稲垣直樹(人文書院)
→紀伊國屋書店で購入 フーコーの「タブロー」が降霊会の「テーブル」に化けた 科学とは何か、その終わり... →紀伊國屋書店で購入 フーコーの「タブロー」が降霊会の「テーブル」に化けた 科学とは何か、その終わりない発展過程を見ていると、それが拠るとされる観察や客観性そのものが時代や文化に規定された「パラダイム」や「エピステーメー」の産物である以上、特殊歴史的なものと知れる。たとえばフェミニズム的関心が急に強大になった1880年前後の性差別的科学が、実はいかに観察と客観性を口実に偏向イデオロギーによってつくりだされた「擬似科学」でしかなかったかを、理論的にはディディ=ユベルマンの『アウラ・ヒステリカ』、素材的にはブラム・ダイクストラの『倒錯の偶像』を通して、驚愕とともに知った。典型はチェーザレ・ロンブローゾの犯罪人類学。名からして既に「学」と呼ぶのはどうかと思われる、“こういう顔の造作の人間には窃盗犯が多い”といった類の「科学」であるが、現にユダヤ人差別や女性蔑視の根拠としてフル活用されたのは、今や
2008/02/27 リンク