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キャリクファーガス城――北アイルランドの要衝の攻防の歴史 | Call of History ー歴史の呼び声ー
十二世紀のアイルランドは諸王国がアイルランドの支配権をかけて争う戦国時代となっていた。アイルラン... 十二世紀のアイルランドは諸王国がアイルランドの支配権をかけて争う戦国時代となっていた。アイルランド北西部(北イー・ネール)を支配するマク・ロフリンが宗主権を持つアイルランド上王(High King)として、アイルランド東部を支配するレンスター王ダーモット・マクマロー(英語”Dermod MacMurrough”, アイルランド語” Diarmaid mac Murchadha”)と同盟して最大勢力となっていたが、1166年、アイルランド西部を支配するコナハト王が新たにアイルランド上王に就くと諸勢力を束ねて仇敵レンスター王国へ侵攻する。1167年、王位を追われたダーモット・マクマローはイングランド王ヘンリ2世(在位1154-1189)に助力を請うた。 時のイングランド王ヘンリ2世は元々フランス中西部の有力諸侯アンジュー伯家出身で、婚姻関係や戦争を通じてノルマンディー、アンジュー、ブルターニュ
2020/12/03 リンク