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59 『かのように』と『こころ』 | クラウン独和辞典 ―編集こぼれ話―(『クラウン独和辞典第4版』編修委員 新井 皓士) | 三省堂 ことばのコラム
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59 『かのように』と『こころ』 | クラウン独和辞典 ―編集こぼれ話―(『クラウン独和辞典第4版』編修委員 新井 皓士) | 三省堂 ことばのコラム
漱石の『彼岸過迄』や『行人』の文体分析に関連して、ほぼ同時期の鷗外作品をのぞいていたら、今まで気... 漱石の『彼岸過迄』や『行人』の文体分析に関連して、ほぼ同時期の鷗外作品をのぞいていたら、今まで気にならなかったこんな一節が眼に飛び込んできた。「子爵は奥さんに三省堂の世界地図を一枚買って渡して、電報や手紙が来る度に、鉛筆で点を打ったり線を引いたりして、秀麿はここに著いたのだ、ここを通っているのだと言って聞かせた。」 「クラ独」の編集には及び腰で携わってきたものの、格別深い縁もなければ社史の類をみたこともなかったので、ここに「三省堂」とあるのが現在の三省堂と直結するか咄嗟に不明ではあった。しかし何だか遠い親戚のうわさを思いも寄らぬ所で耳にしたような感じがした。で、念のため、某社の百科事典をみると、どうやらこれは紛れもなく我らが三省堂のことらしい。この小説は明治45年、すなわち1912年の初めに公になったが、三省堂の創業は1881(明治14)年、英和辞書や日本通史、『辞林』で大当たりする一方、