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嫌いを毎日書く人にだけはなりたくない
内容は非常によいのだが日本語訳が「硬い」本を読んだ。 ……と、かんたんに書いてしまったけれど、実際に... 内容は非常によいのだが日本語訳が「硬い」本を読んだ。 ……と、かんたんに書いてしまったけれど、実際には原文(英語)がそもそも「硬い」のかもしれない。となれば、日本語翻訳は十分に本来のニュアンスを汲み取っていることになる。もしそうなのだとしたら、「悪い」のは翻訳ではない。 今、思わず「悪い」と書いたけれど、「硬い」文章の本は読みづらいが「悪い」わけではない。硬さが必要だと思って硬く書いている本はむしろ「良い」。 形容詞を使う度に、それはほんとうに適切なのだろうかというのをくり返し考える。形容詞こそは主観そのものだ。 「白い」も「熱い」も相対判断である。「広い」も「狡い」も感じ方次第だ。「細かい」ことを言えば、「あの人は努力している」のように、形容詞がなくても主観的な表現というのはいくらでも作れるが、ともあれ、形容詞が多い文章を書けるときは自分でも調子が「良い」と感じる。最後の「良い」は形容詞